7月号もとっくに出てるのに今頃で恐縮ですが、SFマガジン6月号に藤田直哉氏による評論「消失点、暗黒の塔」が掲載されています。
とかくファンにはあまり評判のよろしくない「ダーク・タワー」シリーズのⅤ~Ⅶ部に焦点を当てた評論で、質、量共に読み応えたっぷり。最近ではキングの評論といえば風間賢二氏の独壇場となっていた感があるので、単純に他の人(しかも若い)が書いてくれたというだけでも嬉しい。ロバート・フィリップとランドール・フラッグの関連性など、なるほど、面白いなと感じることがいくつもあったし、あっ、
toppoiさん引用されてるやん、ちょっと羨ましいぞ、自分もあれぐらい思い切りよく書けばよかったなあなんて思う楽しさもあるし。受賞の言葉にある「ジャンル固有の何か自体が、それだけで価値のある何かなのだということを示したかった」という心意気もよし。
しかし、筆者の藤田氏をはじめ、本文の中でも言及されている風間賢二、大森望、角田光代の各氏、いわば読書の玄人筋の人たちと、市井のキングファンとの評価の違いというか、温度差みたいなものは大いに気になるところ。
もちろんキングファンとて「メタフィクション」を知らないわけではない。ただ、過去のキングの作品において夥しい数の作家が登場し、そこにキング自身の経験や心情の投影を見てきた(それがキングの作品のほとんどがホラーやファンタジーであるにもかかわらず、私小説的な色合いを感じさせる理由でもある)読者にとって、「この作品だけは違いますよ」と言われても受け入れ難いという事情がある。それに「小説というものに社会的なんとやらがなぜ必要なんでしょうか? 政治・・・文化・・・・歴史・・・・その小説がよく書けているなら、そうしたものはおのずから含まれてくるんじゃないですか? (中略) つまり・・・・物語は単に物語であってはいけないんでしょうか」(文庫版『IT』1 p220)というのがキングの姿勢だと信じていた自分にとっては、メタフィクションだとか入れ子構造だとか、技巧を凝らした作品よりも、単純に理屈抜きで面白いと思える作品のほうがエライと思っている自分にとっては、「生きるよすが」としての物語を切実に必要とする自分にとっては、やはりⅤ~Ⅶ部は・・・・
しかしながら、社会的には911のような事件が起こり、キング自身も交通事故により瀕死の重傷を負ったことで、様々な面で大きな変化があったことを考えると、古いキング観を後生大事にしていても何も得る所はないとも思える。昔とは違うことを認識しなければ、今後のキング作品を楽しめないことも間違いないだろう。だけど・・・・難しいなあ。自分の読書スタイルは「我は頭で本を読まぬ。頭で本を読む者、父親の顔を忘却せり」だからなあ。
ともあれ、発売当初の頭に血が上っている状態を過ぎ、そろそろこのシリーズと冷静に向き合えるかなとも思うので、はじめから再読してみようかな。
関連リンク
第3回日本SF評論賞受賞記念、藤田直哉さんインタビュー
自分もこの評論に一役買っているってことですか?
the deconstruKtion of right
藤田直哉氏のブログ
S-Fマガジン 2008年 06月号 [雑誌]
紹介するのが遅れても、こうして簡単に手に入るんだから、いい時代になったもんだ・・・・
追記 この藤田氏や風間氏の「擁護派」の論理的な文章を読むと、「否定派/落胆派」はまるで何もわかっちゃいないような気分にさせられるけど、そうではないこと、(おそらく多くの否定派/落胆派に共通する)自分が読みたかったものはこんなのではないのだという想いについて書きたかったんですが、うまくまとまらず、消化不良でゴメン。