いろんな意味で近い - 第一印象はそんな感じ。乱暴にいうと男子中学生たちのある夏の物語なんですが、時代設定が79年で中一というのは自分よりも少し下(私は主人公広樹の兄と同じくらい)なんで、あの時代の文化には深い思い入れがあるし、舞台が今自分が住んでいる所と地理的に(雰囲気的にもまあまあ)近いこともそうだし。全編関西弁の小説といっても、舞台が岸和田だったりしたら、自分にはもう「異文化」としか思えないから。
だからもうツッコミどころ満載で、私なら広樹にはミズノを履かせるなとか、この時代にまだVANはありがたかったのか?とか、おまえらガキのくせに音楽の趣味が良すぎるぞ。まだまだ成長過程なんやからもっとしょうもないもの-例えばレインボーなんか-も聞けよとか、なにがクラッシュにストラングラーズじゃ。おじさんが初めて買ったパンク/NW系のレコードはトム・ロビンソン・バンドだったぞ・・・あっ、79年といえばポリスの「レガッタ」の年やんか。なんでこれが出てこないんやとか、『ナイン・ストーリーズ』みたいにしゃれたもん、おじさんはまだ読んだことないぞ。関西人ならサリンジャーよりシリトーを読め、シリトーをとか、この年頃で『蝿の王』に出会えるなんて本当に羨ましい。もしタイムマシンがあったらテッド・ブローティガンに変装して中学生の自分にこの本をプレゼントするのにとか・・・きりが無いのでこれぐらいにしておきますが。
このように、本書は79年あたりの文化に思い入れのある大人も楽しめる内容で、完成度からしても一般小説として新潮あたりから出ても遜色ないものですが、GA文庫という所謂ライト・ノベルのレーベルから出ております。こういうところから出たいきさつについてはよくわかりませんが、もしかすると作者には若い人たちにこそ読んで欲しいという強い思いがあるのかも。
この作品から感じられることはたくさんあるとだろうけど、私がひとつだけあげるとしたら、本書の中で言及されるサブカルチャー的な物事は、決して時代を感じさせるための小道具ではないといううこと。友達や家族との係りももちろん大事だけど、自分一人だけの時に本当に夢中になれるものを持つ事の重要さを感じて欲しいと思う。それは他人から見たら「なんてしょうもない」と思われるようなものでもいい、周りの大人はすぐに「近頃はスポーツの世界でも、映画や音楽の世界でもスーパースターと呼べる存在がいない」なんてことを言うけれど、自分にとって大切なもがスーパースターである必要も、それを他人に認めてもらう必要も全くない。自分にとっての「生きるよすが」が、来週のジャンプの「ワンピース」を読むなんてことでもかまわないんだと認識して欲しい。それで、その大切なものを身近な友達と共有できたら最高だし、同時に一人で何かにのめりこむことの限度も知って欲しい。
そうそう、文句があるのを忘れるとこだった。男子中学生を主人公にしていてスケベな話が皆無ってのはちょっと納得いきませんな。あの年頃といえば、頭の中の半分ぐらいは常にそのことから離れないもんだと思うのですが。来年には本書のキャラクターも登場する二作目も出るということなので、もしかしたらそちらでは・・・。いろんな意味で期待しておこう。
クレイジーカンガルーの夏誼 阿古 藤本 みゆき