ダークタワー・シリーズの未読の部分にキャラハン神父が登場するらしいので、予習として『呪われた町』を久しぶりに再読してみた。
本書はキングの全作品中でも群を抜く大傑作であり、個人的にも特別にに偏愛している作品なので、その魅力について書き始めると歯止めが利かなくなる恐れがあるから、今日はキャラハン神父についての紹介だけにしておきます。
ドナルド・キャラハン神父とはいかなる人物か?
キャラハン神父は堂々たる五十三歳だった。髪は銀色、眼は混じりけなしのブルーで(いまは赤い血管が浮きでている)、アイリッシュ特有の笑い皺に囲まれ、口は力強く、かすかな割れ目のある顎はさらに力強かった。朝、鏡にうつった自分の顔を見ながら、六十歳になったら聖職をなげうってハリウッドへ行き、スペンサー・トレイシーの役を演じる仕事にありつこうかと考えたことが何度かあった。(上巻P266)
ちょっと変わっている。少々酒を飲みすぎる(ジム・ビーム専門)かもしれない。だが教養のある、礼儀正しい男だ。たぶんカトリック制度の束縛の下でやや苛立っているのだろう(マット・バーク談)
世間はあの方のお酒のことをとやかくいいました。アイルランド人の司祭で一度も酒壜に手を触れたことのない人の中に、世のためになるりっぱな人が一人でもいたでしょうか? (神父の家政婦のミセス・カレーラス談)
本書の中での彼の役割をまとめると、ベン・ミアーズ、マット・バークたちに協力を求められ、バーローと対決するも破れ、「聖体拝領」(バーローの血を飲まされる)を受け、バスでニューヨークへ逃走するというもの。若い頃は理想に燃えていたものの、「あるのはただ児童虐待と近親相姦と環境破壊だけという現世」に失望し、酒に走るという結構屈折したキャラクター設定になっている。キング自身の宗教観とか、現代社会における信仰の弱体化のシンボル的な存在と言えるかも知れない。
モダンホラーとU.S.A.の中で征木高司氏が「現代のアメリカ小説は基本的にドナルド・キャラハンがバスに乗った以降の話なんだけれど」と書いていたけど、キング自身もその「バスに乗った以降」の神父のことがずっと気になっていたのかも。キャラハン神父がどのような形でダークタワーの世界に登場するのか、これもダークタワー・シリーズの今後のお楽しみのひとつということで。